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大阪家庭裁判所 昭和37年(家)2988号 審判

申立人 小川邦治(仮名)

右法定代理人親権者母 小川ひさ子(仮名)

相手方 江藤基治(仮名)

主文

当庁昭和三三年(家イ)第四七号扶養調停事件につき、同年三月三十一日成立した調停の、調停条項第一項(ロ)のうち、昭和三十七年六月以降申立人が満十八歳に達する月までの間に支払うべき金額を一ヵ月金四,五〇〇円宛と変更する。

理由

本件は、申立人より相手方に対する当庁昭和三六年(家イ)第二一一二号扶養調停事件の不成立により審判に移行したものであるが、申立の実情の要旨は「申立人と相手方間の大阪家庭裁判所昭和三三年(家イ)第四七号扶養調停事件において、同年三月三十一日調停が成立し、調停条項第一項(ロ)に、相手方は申立人に対する扶養料支払義務の履行として昭和三十三年四月以降申立人が満十八歳に達する月まで毎月二十五日限り金二,五〇〇円宛を送金支払うことに定められた。その後申立人は上記金額をもつては十分の養育を受けえないので、大阪家庭裁判所に同庁昭和三四年(家イ)第二〇四二号扶養料増額調停事件を申立て、調停不成立の結果審判に移行し(同年(家)第六二八〇号)、昭和三十五年二月二十日、上記調停条項第一項(ロ)のうち、昭和三十四年九月二十八日以降申立人が満十八歳に達する月までの間に支払うべき金額を、月額三,五〇〇円宛と変更する旨の審判がなされ、同審判は確定した。

しかしながら、上記金額をもつても生活費に不足するので、申立人は三度び同庁昭和三五年(家イ)第一四八二号扶養料増額調停事件を申立て、扶養料を月額六,五〇〇円に増額するよう申立てたが、調停不成立となり、審判に移行(同年(家)第四五五三号)した結果、昭和三十五年十月二十一日申立人の申立は却下された。申立人がここに四度び扶養料増額を申立てる理由は次のとおりである。(イ)申立人の母ひさ子は、その兄功市の煙草小売業の手伝いをしているが、月収は五,〇〇〇円に足りず、功市から申立人母子の主食の一部の補助を受けているものの、生活は極度に苦しい(ロ)前審判後の諸物価高騰により生活費はさらに増大した(ハ)申立人の成長に伴い衣料費及び食費がかさんできた(ニ)前審判後相手方の給与額が増加した。以上の諸点から、申立人が満十八歳に達する月まで月額送金額を六,〇〇〇円に増額を求める」というのである。

相手方はこれに対し「現在の収支状況をもつては月額三,五〇〇円以上の送金は不可能であり、増額に応じない」と述べた。

本件調停申立に至るまでになされた上記諸事件の調停及び審判の経過、内容は当裁判所に顕著なところである。

本件調停の経過を概略すると、申立人親権者母小川ひさ子は当初月額六,〇〇〇円に増額を強硬に主張し、もし要求が容れられないときは申立人を相手方に引渡すと言い、一方相手方は、扶養料増額を拒否するとともに申立人の引取りを望んだので、調停期日において引渡の日時、場所を取りきめたが、ひさ子の翻意によつて実現するに至らず、調停は振出しに戻つたが、結局増額について双方の互譲が得られないため不成立に終つた。

そこで、上記の昭和三十五年二月二十日になされた扶養料増額審判(以下増額審判という)以後の事情変更の有無につき考えてみるに、当庁調査官梅原春太郎の調査結果、日本専売公社竜野出張所長の回答、竜野市立誉田幼稚園長の書面、本件調停における経過及び上記の前件各調停、審判記録等を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  申立人側…………従前どおり申立人と母ひさ子の二人暮しで、ひさ子の兄小川功市所有の店舗付住宅に居住し、ひさ子が功市の営業名義のもとに、同人の資金でたばこ小売業を営んでいる。たばこ小売業者は、専売公社より小売定価の数パーセント引でたばこを買い、これを定価で売ることによつて、その差額を純益とするものであるが、増額審判当時及びそれ以後昭和三十六年三月までの利益率は八パーセントであつた。増額審判において認定された小川たばこ店の一ヵ月の平均純益は五,四〇〇円とされているが、昭和三十六年一月より同年三月までの平均純益は六,一七二円と計算される。ところが、同年四月以降小売利益率が小売定価の八・五パーセントとなり、また小売数量、売上金額が若干増加した結果、同年四月以降昭和三十七年三月までの年間純益は一一二,一三七円(利益率変更による概算並びに精算支給額合計六,五九七円を含む)、一ヵ月平均純益は九,三四四円余となつた。しかし、営業名義人である兄功市がたばこの仕入金や、同人の農業協同組合に対する債務の支払いに充てるため、売上金より随時不定額を使用することがあるので、上記純益のうち申立人母子の生活費に充当される分は一ヵ月約七,〇〇〇円前後と推察される。

申立人は満五歳となり、成長につれて申立人の食費、衣服費が漸増していることは十分考えられるが、そのほか、申立人は昭和三十七年四月より市立幼稚園に入園したので、通園にともなう諸費用、すなわち保育料、材料費等幼稚園に直接支払うべき月額六九〇円と、通園による衣服費、靴代、諸雑費等の関連費用の増加をみることとなつた。なお、申立人の性格、環境を考えると、幼稚園において集団的な幼児教育を受けることは、申立人の将来のために極めて必要且つ適切であつて、入園が申立人の生活程度を超えた、いわば分に過ぎた措置とみることは妥当でない。

(2)  相手方側…………増額審判時と同様に、相手方とその妻美知子(二十四歳)、長女明子(二歳)及び相手方の母カズ(六十八歳)の四名が、相手方の異父兄江藤行雄所有の家屋に居住している。母カズは亡夫の遺族扶助料と小規模の養鶏による収入によつて自活しており、妻美知子は家計補助のため近所の商店に時折手伝いに行つて若干額の収入を得ている。

相手方は引続き国鉄神豆車掌区勤務の車掌であり、増額審判前の昭和三十四年十一月当時の基準賃金は二一,二八〇円であつたが、昭和三十七年四月の基準賃金は二七,七〇〇円に上昇している。昭和三十七年一月分の差引支給額(基準賃金、諸手当、旅費の合計額より住民税、生命保険金、国鉄共済組合よりの借受返済金等を控除したもの。但し、一月分に限り昇給差額と、差額に対する共済掛金を除く)は二三,八一三円、同年二月分は二一,五七六円、同年三月分は二二,八一九円、同年四月分は二二,九五四円で、以上平均一ヵ月の差引支給額は二二,七九一円と計算される(増額審判において認定された月平均支給額は二二,五七五円であり、その後の基準賃金の上昇の割合に比して支給額が増加していないのは、増額審判においては上記共済組合返還金等を控除しない計算方式によつていたことと、返還金等の控除額が当時は四,〇〇〇円前後であつたのが、現在は一〇,〇〇〇円位になつていることに基く)。なお、相手方が国鉄より支給される年三回の期末手当も、広い意味で相手方家族の生計費となりうべきところ、昭和三十六年中のこれらの差引支給額総計は九四,九四〇円であり、昭和三十七年度においても、格別の事情がない限り、上記支給額総計を下廻ることはないであろうから、一ヵ月平均にして七,九一一円が相手方の生計費に加算されることになる。従つて、相手方の月平均実収入額は上記二二,七九一円に七,九一一円を加えた三〇,七〇二円となるが、この中から申立人に対し毎月扶養料三,五〇〇円を送金しなくてはならず、また後記債務の返済を考えなくてはならないわけである。

毎月の給与から差引かれている上記国鉄共済組合よりの借受返済金は、昭和三十七年五月末日現在で未払額五五,八〇〇円となつており、昭和三十八年九月頃完済となるようであるが、相手方はその他にも毎月頼母子の支払金等に三,〇〇〇円以上支払つていると言い、なおほかにも多額の債務を負担しているというので調査したところ、勤務先の同僚や上司四名から、昭和三十二年以降昭和三十五年頃までの間、数回にわたり合計三六〇,〇〇〇円借用し、残債務三二五,〇〇〇円あることが一応認められる。頼母子の支払金については確認できない。上記の債務は、相手方が競馬や賭麻雀等にたん溺したためにこしらえたもののようで、相手方の現実逃避的な生活態度に起因するものではあるが、申立人の母ひさ子が必要以上に相手方の職場や家庭に押しかけて、相手方の生活秩序を乱したことにも一因が存すると考えられる。

それはとも角、上記の債権者らは、そのすべてが直ちに全額の返済を迫つているのではなく、相手方との間柄上、また相手方の弁済能力を信じて、その返済を暫く猶予する者もいるから、上記債務が存在するからといつて、相手方の生活が急迫な窮乏に追いやられることは考えられない。

双方の事情は上記認定のとおりである。そのほか、申立人の主張する物価の高騰は双方に共通する事がらであつて、特にふれる必要をみない。以上を通観し、双方の生活程度を比較すると、相手方の方が申立人より余力があるということができる。

相手方は、多額の債務を返済しなければならないから、月額三,五〇〇円以上の扶養料増額はできないというのであるが、上記認定の債務総額、相手方の収入額とその安定性、債権者の返済要求の急迫度、並びに、毎月の給与より月額三,七〇〇円の生命保険料を支払つている事実等を考え合わせると、相手方に現在額以上の扶養能力がないとは認め難い。

そこで、次に増額すべき扶養料の金額につき考えるに、上記認定の諸事実その他本件調停にあらわれた一切の事情を勘案のうえ、相手方は申立人に対し、月額一,〇〇〇円を従前の扶養額に加えて支払うのが相当と考える。上記増額分の全部または大部分は申立人の通園にともなう費用となろうし当裁判所も主としてその意味において増額の必要を認めたのであるが、申立人の入園は昭和三十七年四月であり、相手方はその頃本件調停期日外において入園祝として二,〇〇〇円を申立人に送金している事実が認められるから、上記金額は四月以降の通園費用に充当されたものと考えて、扶養料増額分の支払始期を昭和三十七年六月以降と定める。

当裁判所の判断は以上のとおりであるが、なおつけ加えるならば、申立人の母小川ひさ子の生活は、ひさ子の兄小川功市の支援、好意にもつぱら依存しており、そのため近時とみに、兄功市の家庭にも経済的・精神的波乱をまき起しているように看取される。ひさ子は、申立人が足手まといになつて働きに出られないというが、申立人も次第に成長してきたし、いつまでも兄の援助にすがることなく、他に適職をみつけるとか、内職によつて収入の増加をはかる等の努力をなし、よつて申立人の養育に資することを心がけるべきであろう。

以上の次第であるから、主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤野岩雄)

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